第6話|まっすぐを測る、木の定規

大阪から特急列車に揺られて、長野県の松本に着いたのは、昼を少し過ぎたころだった。
ここは山に囲まれた町。駅に降り立つと、澄んだ空気が肺の奥にまで届く感じがした。
今回の旅の目的地に松本を選んだのは、ふと雑誌で見かけた「木工の町」という言葉が心に残っていたから。木でつくられた文房具——それも、使うほどに味が出る“定規”があるという。旅の終盤に、そんな“まっすぐ”を測る道具に出会いたくなったのかもしれない。
城下町の風情を残すなわて通りを歩きながら、川のせせらぎに耳をすます。
道沿いにあったクラフトショップの軒先に、手づくりの木製文具が静かに並んでいた。
素朴な棚の中に、それはあった。
ウォールナット材でできた15cmの木製定規。
手に取ると、驚くほど軽くて、すべすべとした手触り。けれど、数字の刻印は細かく正確で、その見た目のあたたかさとは裏腹に、ぴんと背筋が伸びるような存在感があった。
「それ、山の木を一本まるごと仕入れて、定規だけを作ってる職人さんがいるんです。」
店の奥から出てきたのは、若い女性の店員さんだった。
「曲がっても、削って整えて。まっすぐじゃなくなった木を、もう一度“定規”に戻すって、なんだか素敵だなって思って。」
私は小さくうなずいた。
今の自分にも、少し似ているような気がした。旅を重ねるほど、心の中の線はまっすぐにも曲がりくねってもいく。でも、それも全部含めて、“測る”ことをやめなければ、ちゃんと自分を知っていけるのかもしれない。
購入した定規は、専用の布袋に入れてくれた。袋の端には、小さく刺繍された文字。
trace your line.
“あなたの線をなぞって”——そんな意味だろうか。私はその言葉が、なぜかとても好きだった。
宿に戻ると、持ち歩いているノートを開いた。
ペンケースからガラスペンを取り出し、金箔の万年筆を隣に置く。
そして新しく仲間入りした木の定規で、1本の直線を引いてみた。柔らかな紙の上に、まっすぐなインクの線がすっと走る。
きれいな線だった。だけど、どこか温かみのある、ふしぎな直線。
旅をすることで、自分の内側にあった曲がりや凹みを、ひとつずつなぞっていたのかもしれない。
この定規は、それを肯定してくれるようだった。
窓の外では、北アルプスの山々が白く光っていた。まだ少し雪が残るその稜線も、遠くから見ればゆるやかで、きっとまっすぐだった。 私の旅は、まだ終わらない。けれど今夜は、静かに線を引く音だけを聞きながら眠れそうだった。

この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
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