文具探しの一人旅 season-1-10

第10話|ことばのゆくえ、再出発の手紙

大阪に帰ってきた夜、私は久しぶりに、何も予定のない週末を迎えた。
窓を開けると、春の風がカーテンをゆるやかに揺らし、部屋の中に旅の空気がそっと入り込んでくる。

机の上には、これまでの旅で出会った文具たちが並んでいた。
透明なガラスペン。竹の筆。金箔の万年筆。デニムのペンケース。レトロな鉛筆削り。木の定規。墨の香りのペン。そして、白インクとオーダーノート。
どれも使うたびに、あの土地の空気や、店主の言葉、触れた風景がよみがえる。

けれど今夜は、それらをただ見つめるだけにした。
書くことではなく、誰かに届けるための“手紙”を書く夜にしたかった。

誰に宛てた手紙なのかは、わからない。
もしかしたら、未来の自分へ。あるいは、まだ出会っていない誰かへ。
でも、本当はただ——自分の心の奥にしまっていたものを、そっとすくい上げてみたかった。

便箋を選ぶ。白くて、少しだけざらっとした紙。
ペンはあえて、最初に出会ったガラスペンを選んだ。
ゆっくりとインクをつけ、深呼吸をして、一行目を書く。

こんにちは。わたしは今、少しだけ、立ち止まっています。

続く言葉は、旅の途中で拾い集めた感情だった。
言葉にできなかったこと、うまく話せなかった本音、ただ風景として心に残っていた静けさ。
それらが、手紙というかたちで少しずつほどけていく。

書くことは、ずっと怖かった。
誰かに見せるための言葉しか、知らなかった気がする。
でも今は、ちがう。
書くことは、“今のわたし”をそっと見つめることだと知った。

最後に、ひとことだけ添えて、手紙を書き終えた。

「また旅に出る日まで、元気でいてください。」

封筒に入れて、封をする。
宛名は書かない。切手も貼らない。けれど、この手紙はきっと、どこかで自分に返ってくる気がする。

ライトを消す前に、旅で出会ったノートを一冊ずつ手に取ってみた。
まだ白いページがたくさん残っている。
それが、少しうれしかった。旅は終わったのではなく、“つづく”という余白を残してくれたのだ。

眠る前、窓の外を眺めると、風が静かにベランダの植木を揺らしていた。
夜はあたたかく、どこか春の終わりと、夏の始まりを告げていた。

——再出発は、いつだって静かにやってくる。

私はガラスペンを布に包み、手紙を机の引き出しにしまった。
そして、明日からの暮らしを、ほんの少しだけ丁寧に始めてみようと思った。


シーズン1 完
ご愛読ありがとうございました。

この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
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