第1話|春の風、ガラスペンと喫茶店

春の大阪は、人も風も、どこかせわしない。
けれど、そのざわざわの中に、ほんのりとしたやわらかさが混じっているのが、不思議な魅力なのかも。
朝の新幹線で大阪に着いた私は、大阪駅の人波に流されるようにして、街を歩き出した。旅の目的はただひとつ。「心がときめく文具」と出会うこと。行き先も計画も、細かくは決めていない。けれど、どこかに必ず、自分の心を揺らしてくれる一本がある——そんな直感があった。
梅田の大通りを少し外れた小道で、小さな喫茶店に足を止めた。レンガ造りの古びた店構えに、白いレースのカーテン。店名は「ふでばこ」。その名前に引かれて、扉を開けた。
店内は、木の匂いとコーヒーの香りがやさしく混ざり合っていて、外の喧騒が嘘のように静かだった。カウンターの一番端の席に腰を下ろし、ブレンドコーヒーを頼む。ふと、窓際に並べられた数冊のノートと、一本のガラスペンが目に入った。
透明なガラスに淡い青が差し込んだそのペンは、まるで春の空を閉じ込めたようだった。
「それ、気になりますか?」
カウンターの中から声をかけてきたのは、白髪まじりの店主だった。やわらかな笑みを浮かべながら、続けた。
「この店ね、文具好きがよく集まるんです。時々、気に入った文具を“置いていって”くれるお客さんがいてね。誰かに使ってほしいって。」
彼の言葉にうながされるように、私はガラスペンを手に取った。ひんやりとした感触。想像よりもずっと軽い。そして、持った瞬間、ふっと気持ちが落ち着くのを感じた。
「京都の職人さんが手作りしてる一本です。細くて繊細。でも、芯があるんですわ。」
まるで、今の私のことを言われているようだった。
旅なんて、思いつきだった。目的もあいまいで、自分でも少し不安だった。けれどこのペンは、そんな私の“軸”になってくれそうな気がした。
近くにあった便箋を借りて、そのペンで一筆書いてみた。インクが紙にすっと染みこみ、細い線を描いていく。まるで心の奥にある言葉が、そのまま紙に流れ出すようだった。
「こんにちは、はじめまして。」
私はそんな言葉を書いて、そっと紙を折った。誰に宛てたわけでもない。でも、それは間違いなく、この旅の最初の一歩だった。
「よければ、そのペン持っていってください。」
店主はにっこり笑った。私は軽く会釈をして、ガラスペンを大切にペンケースにしまった。
外に出ると、春風がシャツのすそを軽く揺らした。まだ肌寒さも残っていたけれど、心は不思議とあたたかかった。
——旅の始まりは、一本のガラスペンから。
私はまた、地図のない旅を歩きはじめた。

この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
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